がっつり部長ブログ!!Part17!!
広島市への原子爆弾投下(ひろしましへのげんしばくだんとうか)では、
第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分
に、アメリカ軍が日本の広島市に対して投下した原子爆弾(以下『原爆』と記す)に関する記述を行う。
これは実戦で使われた世界最初の核兵器である。この一発の兵器により当時の広島市の
人口35万人(推定)のうち9万~16万6千人が被爆から2~4カ月以内に死亡したとされる。
爆心地から500メートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約90パーセントを越え、
500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約60から
70パーセントに及んだ。さらに生き残った者も7日目までに約半数が死亡、次の7日間でさらに25パーセントが死亡していった。
11月までの集計では、爆心地から500メートル以内での被爆者は98から
99パーセントが死亡し、500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、約90パーセントが死亡した。
1945年(昭和20年)の8月から12月の間の被爆死亡者は、9万人ないし12万人と推定されている。
原爆が投下された際に広島市内には米軍捕虜十数名が収容されていたが全員が被爆死している。
この米軍捕虜は7月28日に呉軍港空襲を行って戦艦「榛名」に撃墜された米軍爆撃機B-24
(タロア号・ロンサムレディ号・その他)の乗組員である。彼らは憲兵隊司令部がある広島市に移送された直後の被爆であった。
う~ん・・・恐ろしいですね・・・ほんの60年前はこの平和と思われる日本が戦争していたんですよね・・・
食べるものも少なくひもじい生活をしていたんですね・・・
今、平和と思われる日本ですが、尖閣諸島問題をはじめ外交関係はあまりよくない感じです。そりゃそうですね、
政治が一枚岩ではないんですから・・・他国からすれば弱いイメージしかないですよね・・・情けない・・・
この当たり前のように平和に生活しているのは先人の方々の苦労のおかげであります。
せっかく昔を振り返る日!!みなさんの振り返ってみるのもいいかもしれないですね!!