第3回 ”GEKI’s 風はその背に鬣に ~守口・豊里工場ブログ~
お久しぶりです。 GEKIです。
”GEKI’s 風はその背に鬣に・・・(競馬編)
”GEKI”のWHO’s WHO・・(映画編)
”GEKI”のライナーノーツ ・・ (音楽編)3部作からの現在(競馬編)です。お付き合い下さい。
と言う事で、(競馬編)の3回目となります。
”昭和47年関西三強”、古いなぁ~、私自身が歳に歴史を刻んで来ましたので、お許し下さい。
昭和47年は、前年暮れから猛威を振るった馬のインフルエンザが大流行し、46年暮れの有馬記念
女傑(トウメイ)が、優勝した時も今では考えられない様なわずか、6頭の出走でした。
さて話を、関西三強に戻しましょう。皐月賞馬 野武士(ランドプリンス)サラ系、8世代サラブレットの血がつづか
無いと真のサラブレットに、当時はならず、”サラブレット系(サラ系)と呼ばれていました。血統の話をすると
長~くなりますので、サラ系についてはこの辺で、機会があればまた! 野武士と呼ばれたのもこの辺からでしょう。
ダービー馬(ロングエース)は馬主さんが永井長一郎さんで、永井(ながい)英語読み(ロング)長一郎(ちょういちろう)
の一から(エース)後に、(ロングファスト)・(ロングワン)・(ロングホーク)と言う名馬達を送り出しました。中でも
まさに、切り札的な存在が、(ロングエース)でした。
さて昭和47年のダービーは、前に述べたインフルエンザが原因で、ダービー史上2回目の七夕ダービーとなり、
尚且つダービー史に残る三強の死闘となりました。
ダービージョッキーの栄誉を手に入れたのは、騎手生活16年目のベテラン武 邦彦、そう、武 豊・武 幸四郎の父親です。
さて、おおトリが” 四白流星無冠の貴公子 (タイテエム)私の大好きな名馬の一頭です。
この昭和47年組は、史上最強世代のひとつに数えられます。この三強以外に、当時暮れの阪神3歳ステークスを驚異的な
タイム1:35:00で、勝利した(ヒデハヤテ)2冠馬(タニノムーティエ)の半弟、走る哲学者(タニノチカラ)この2頭
が故障しなければ、昭和47年クラシックは、もっと白熱した戦いになっていたでしょう。その他、大障害馬
(グランドマ-チス)、関東の大器晩成(イシノヒカル)(ストロングエイト)(ハマノパレード)(タケクマヒカル)
(ナオキ)いつも出遅れ(ミリオンパラ)(ハクホオショウ)挙げれば、きりがありませんので止めます。
日本の、時代的にも ”良い昭和”でした。もうひとつこの時代を象徴した、関西テレビアナウンサー 杉本 清さん
後に、杉本 清名実況集が出るほどの西の競馬実況の礎を築いたアナウンサーです。いわゆる杉本節です。
『菊の季節に、サクラ・サクラが満開、菊の季節にサクラ!サクラスターオーです』
『後からは、何~にも来ない 赤帽子がただひとつ これは強いわ テスコガビー』
『テンポイント、テンポイントだ!それ行け テンポイント鞭などいらぬ、押せぁ~~』
『中山の直線を、中山の直線を、流星が走りました。』
数々の、名口調から、旧古馬5歳になってからの、春の天皇賞 クラシックで、苦杯をなめ続け、付いた名前が
四白流星無冠の貴公子(タイテエム)『四白流星無冠の貴公子に春が訪れました』。
2015年秋のクラシック戦線、(ドゥラメンテ)は間に合うのか?、新たなヒ-ロー・ヒロインが誕生するのか?
まずは、6ハロンの電光石火『スプリンターズステークス』を、お見逃しなく!
競馬は、ロマンです。あなたの夢・私の夢が走ります。私をロマンの世界へ、いざなってくれた 杉本 清さん・志摩直人さん万歳!
では、今回はこの辺で、GEKIでした。