がっつり部長ブログ!Part22! ~ベトナム視察①~
少し秋らしくなりましたか??みなさんお元気ですか??
さて、今回より約3~4回に分けてベトナム視察編をお送りしたいと思います。
今回はベトナムってどんな国なんか紹介させていただきます。
ベトナム社会主義共和国(ベトナムしゃかいしゅぎきょうわこく)、通称ベトナムは、
東アジア・東南アジアのインドネシア半島東部に位置する社会主義共和制国家。
国土は南北に長く、北に中華人民共和国と、西にラオス、カンボジアと国境を接し、
東は南シナ海に面し、フィリピンと対する。首都はハノイです。
歴史は長年の中国支配からフランス支配入り下記のとおりになる。
フランス植民地支配
1847年 – 4月、フランス軍艦、ダナンを砲撃(フランスの侵略始まる)
1882年 – 4月、フランス、ハノイ占領
1884年 – 6月、第2次フエ条約(パトノートル条約、ベトナム、清への服従関係を絶つ)
1883年 – 8月、第1次フエ条約(アルマン条約、ベトナムがフランスの保護国に)
1940年 – フランス本国のドイツによる占領、ヴェシー政権樹立に伴う日本軍の北部仏印進駐
1941年 – タイ王国とフランス(ヴィシー政権)が交戦。日本政府による仲裁。
直後に日英米開戦、太平洋戦争勃発。
1945年3月11日 – 保大(バオ・ダイ)帝が日本の援助下でベトナム帝国の独立を宣言
南北分断時代
1945年8月15日 – 大日本帝国、ポツダム宣言を受諾した旨声明。
世界中の日本軍に戦闘停止を命令。
1945年8月17日 – ベトナム独立同盟がハノイを占拠。
1945年9月2日 – ベトナム民主共和国の樹立を宣言、ホー・チ・ミンが初代国家主席に就任。
同日、大日本帝国政府が降伏文書に調印し、第二次世界大戦が公式に終結した。
1946年11月 – ハイフォン(海防)でフランス軍と衝突
1946年 – 1954年 – フランスに対する独立戦争(第一次インドシナ戦争)
1949年 – フランスはサイゴンにバオダイを復位させ、ベトナム国として独立を認める。
中国、ソ連は、ベトナム民主共和国を承認
1954年7月 – ディエンビエンフーの戦いでフランスは敗北、ジュネーブ協定を結び、
ベトナムから撤退、独立戦争終結。同時に、北緯17度線で国土がベトナム民主共和国
(北ベトナム)とベトナム国(南ベトナム)に分断される。10月、南ベトナムでは
アメリカを後ろ盾にゴ・ディン・ジェムが大統領に就任、国名をベトナム共和国にする
1960年12月 – 南ベトナム解放民族戦線結成。
1962年2月 – アメリカはサイゴンに援助軍司令部を作り、軍事介入、ベトナム戦争
(第二次インドシナ戦争)が始まる。
1965年2月 – アメリカは北ベトナム爆撃を開始、本格的な戦争に突入。
1968年1月 – 南ベトナム全土で解放戦線・北ベトナムのテト攻勢、アメリカは大打撃を受ける
1969年1月 – 南北ベトナム、解放戦線、アメリカの4者によるパリ和平会談が始まる
6月 – 南ベトナムで、解放戦線は南ベトナム共和国革命臨時政府建設。ベトナム共和国と対峙。
1972年4月 – アメリカ・ニクソン政権は北爆を再開
1973年1月 – 南北ベトナム政府、臨時革命政府、アメリカの4者は、パリ和平協定に調印
1975年4月30日 -北ベトナムと解放戦線は春の大攻勢を行い、南ベトナムの
ズオン・バン・ミン大統領は全面降伏、サイゴンは陥落、ベトナム共和国崩壊。
南ベトナム共和国の名の下に北ベトナムが実権を掌握。ベトナム戦争終結
南北統一以後
1976年4月 – 南ベトナム消滅による南北統一。初の南北統一選挙を行う。
1976年7月2日 – ベトナム民主共和国をベトナム社会主義共和国に改名。
ということで、ベトナムという国は長らく中国の支配を受けて、独立したらフランスに攻められ
植民地になり、そして日本と占領下になり、第二次世界大戦が終われば、ロシア、中国VSアメリカの
介入により南北が分かれてベトナム戦争など、本当のベトナム統一まで長年にわたって我慢してきた
国なんですね!!だが、それを乗り越えて凄まじい発展を遂げているのも事実ですね。
次回は、ベトナムの経済状況をお送りいたします!!